メディカル翻訳雑感

メディカル翻訳講師のブログ。翻訳の勉強に役立ちそうなヒントや情報を思いつくまま書いています。

undergo

undergo の訳として、辞書には「~を受ける」や「~を経験する」などが載っています。

undergo medical treatment:治療を受ける
undergo surgery:手術を受ける
undergo tests:検査を受ける

これらは医学文献ではよく目にするので「undergo=受ける」と整理している人がいるかもしれません。 しかし、以下のように「受ける」の訳ではうまくいかないケースも多いです。

undergo changes:変化する
undergo development:発達を遂げる;発達する
undergo necrosis:(細胞や組織が)壊死する
undergo apoptosis:(細胞が)アポトーシスを起こす
undergo division:(細胞が)分裂する
undergo trials:(薬が)試験される;(薬の)臨床試験が行われる;試練に耐える

次の例は、undergo にはぴったり対応する日本語がないことを示すよい例です。

Study participants underwent a 4-week run-in period.
(試験参加者に4週間の導入期を設定した)

直訳しようにも「試験参加者は導入期を〇〇した」の構造では「受けた」も「経験した」も不自然です。 このような場合、英語の文法構造にとらわれずに、キーワード(この場合は「4週間の導入期」など)に基づいて、著者が何を言いたいのかを考えながら文を再構成するのがよいと思います。

 

Migraines and Vertigo

今回紹介する動画は、メイヨー・クリニック、Medical Edge の Migraines and Vertigo です。 この動画も、メイヨー・クリニックのサイトと YouTube で同じものが公開されています。

下のリンクをクリックすると YouTube へ飛びます。

Migraines and Vertigo

メイヨー・クリニックの動画のページは、グーグルで "Migraines and Vertigo - Mayo Clinic" のフレーズで検索すると上位でヒットします。

字幕は概ねメイヨー・クリニックのサイトの方が正確ですが、一部、YouTube の自動生成の方が正しい箇所があります。 YouTube での字幕表示や再生速度の変更方法については、 字幕と文字起こしを表示させるを参照してください。

以下、要点を解説します。

migraine:片頭痛
「偏頭痛」の表記も見かけますが、医学用語としては「片頭痛」が正式です。 migraine の特徴として、片側性の頭痛(頭の片側だけの痛み)以外に、視覚、聴覚、嗅覚の症状や、 悪心(吐き気)などが起こることもあります。 それらを含めた症候群というのが migraine の定義です。 頭痛が片側性ではなく両側性のことも多く、また極端な場合は頭痛を伴わないこともあります。 「頭痛を伴わない片頭痛」というおもしろいフレーズが存在します。 英語の migraine without headache は何ら矛盾を感じませんが。

vertigo:回転性めまい
この動画のようにたびたび vertigo が出てくる場合は、最初に「回転性めまい」と訳したら、あとは単に「めまい」で十分です。

bouts of vertigo:めまいの発作

crystal:耳石
「耳石」の専門用語は otoconia。物質として炭酸カルシウムの結晶なので、crystal とも言われます。

come loose:(耳石が)剥がれる

dizzy spells:めまいの発作
spell は前出の bout とほぼ同じ意味。

episode:エピソード
医学で使われる「エピソード」は、発作のように繰り返し現れる症状について、 その発作が起こっているひとまとまりの期間を意味します。

The only thing that really helped it would be to sleep.
「症状を治すには、眠る以外に方法はありませんでした」
help:(薬などが苦痛などを)和らげる

The things that make us suspect that a patient might have migraine related vertigo would be recurrent episodes of vertigo that are associated with some other migraine features.
「再発するめまいのエピソードが他の片頭痛の特徴を伴っていれば、 患者の病気は片頭痛関連めまいではないかと疑います」
直訳は「患者が片頭痛関連めまいにかかっているのではないかと疑わせるものは、 他の片頭痛の特徴を伴う再発するめまいのエピソードです」。
some other migraine features(他の片頭痛の特徴)とは、頭痛以外の、視覚、聴覚、嗅覚の過敏症状などを指します。

migraine related vertigo:片頭痛関連めまい;片頭痛性めまい
後に出てくる migrainous vertigo と同じです。 同じ病気に対してさまざまな呼び名がありましたが、 国際頭痛学会頭痛分類委員会による分類で前庭性片頭痛(vestibular migraine)に統一されました。 翻訳としては、migraine related vertigo をわざわざ「前庭性片頭痛」と書く必要はないと思います。

Like sensitivity to light, sound, or smells, migrainous vertigo is not the same as benign positional vertigo …
誤解を避けるために言葉を補えば「光、音、臭いに対する過敏症状が良性頭位めまいと同じではないように、 片頭痛性めまいは良性頭位めまいと同じではありません」
sensitivity はここでは「過敏症」の意味。

benign positional vertigo:良性頭位めまい(症)
=benign paroxysmal positional vertigo (BPPV:良性発作性頭位めまい症)。
日本では BPPV と言われることが多いです。

neurochemical changes:神経化学的変化
ニューロン(神経細胞)は化学物質によって情報を伝達しあっています。 neurochemical(神経化学的)とは、そのようなニューロンの情報伝達のしかたに関係することを意味します。

vestibular system:前庭系
前庭系は内耳の一領域。体のバランを保つのに大きな役割を果たしています。

break loose:前出の come loose とほぼ同じ。

beta blocker:β遮断薬
交感神経系のβ受容体を遮断して、交感神経の刺激が伝わらないようにする薬。1960年代に狭心症の治療薬として開発されました。 心血管疾患の治療・予防薬として広く使われています。狭心症に関する臨床試験で偶然に片頭痛に効くことがわかり、後に片頭痛予防の適応が追加承認されました。

rule out:除外する
「患者がかかっていると疑われる病気の候補の中から、ある病気の診断の可能性を排除する」という意味。

 

potential

形容詞の potential はよく「潜在的な」と訳されます。 たしかに結果的に「潜在的な」という訳で問題ない場合もあります。 たとえば potential customer は「顧客になりそうな人」と言っても「潜在顧客」と言っても 結局指すものはほぼ同じなので「潜在顧客」の訳で十分でしょう。 しかし「潜在」は文字通り「潜んで存在する」の意であるのに対して、potential は「今後起こる可能性がある」を意味するので、 厳密には「潜在的な」は正しい訳とは言えません。

the potential risks of participating in the trial
(臨床試験に参加した場合に生じる可能性のあるリスク)

臨床試験に参加しようとする人には、potential risks について説明して同意(インフォームドコンセント)を得なければなりません。 この potential risks を「潜在的リスク」と言うのと「生じる可能性のあるリスク」と言うのとでは少し印象が違います。 「潜在的リスク」と言うと、表には現れていないけれども確実に危険があるように読めて、試験への参加を断られてしまうかもしれません。

the potential consequences of inappropriate use of antibiotics
(抗菌薬の不適切な使用によって起こりうる結果)

「結果」は何かの後に起こるものですから、「現在存在している」を意味する「潜在的」と組み合わせた「潜在的結果」はおかしいと思います。 しかしインターネットで検索すると「潜在的結果」は意外に多くヒットします。 なぜだろうと思って「潜在的結果」と書かれている文脈をよく読んでみると、その「潜在的」は「潜んで存在する」ではなく 「起こる可能性のある」の意味で使われているようです。 「潜在的」に potential の意味が加わりつつあるのかもしれません。 そのような使い方をする人が増えて、そのうち辞書にも「潜在的」の意味として「起こる可能性がある」と書かれるようになるかもしれませんが、 しかし少なくとも現時点では、「潜在的結果」は不自然だと思います。

As of 5:00 p.m., August 22, 193 potential cases of severe lung illness associated with e-cigarette product use had been reported by 22 states. [CDC(米国疾病管理センター)]
(1)*8月22日午後5時の時点で、22の州から電子タバコ製品の使用と関連する193の重症肺疾患の潜在的症例が報告されていた。
(2)8月22日午後5時の時点で、22の州から電子タバコ製品の使用が原因と疑われる193の重症肺疾患症例が報告されていた。

potential cases ... associated with ... は「原因はまだ確定していないが、 今後調査結果がわかれば電子タバコの関与が裏付けられる可能性のある症例」という意味で、 「~が原因と疑われる症例」や「~が原因となる可能性のある症例」と訳せます。 (1)に書かれている「潜在的症例」は、文字通り解釈すれば「隠れて存在する症例」ですが、これでは何を言っているのかわかりません。 potential は cases だけでなく、下線を引いた部分全体にかかるように読む必要があります。

 

associated with

メディカル翻訳では associate も頻出語です。特に (be) associated with の形は非常によく目にします。

Childhood obesity is associated with increased risk of developing various diseases at a later age.
(小児期の肥満は、後年のさまざまな疾患の高い発症リスクに関与(関係)している)

A is associated with B の形は、A と B の間に何らかの関係があることを意味しますが、医学分野ではしばしばその関係は因果関係です。つまり、A と B のどちらかが他方の原因になっています。 ですから、文脈によっては「A は B に関与する」とか「B は A に関与する」のように訳せます。

もちろん associated with がいつも因果関係を表すとは限りません。 状況によって意味を考える必要があります。

chest pain associated with myocardial infarction(心筋梗塞による胸痛)
chest pain associated with shortness of breath(息切れを伴う胸痛)

次の例は臨床試験の報告でよく見るパターンです。

Statin use was associated with a reduction in cardiovascular events.
(1)*スタチンの使用は心血管イベント数の減少と関連していた。
(2)スタチンの使用は心血管イベント数の減少に関与した。

もしこれがスタチンの有効性を示すために行われた臨床試験の報告で、 試験の結果、期待通り「スタチンは心血管イベントの発生数を減らした」と主張する文脈であれば、 (2)のように明確に因果関係を示すべきでしょう。(1)の訳はぼんやりしていて、「スタチンは有効であった」というメッセージが伝わってきません。

 

お勧めの本

メディカル翻訳に興味があるけれども専門知識はないという人向けに、医学の勉強の第一歩として適当と思われる入門書を紹介します。

(好みに合わないこともあるでしょうから、購入する場合は、書店や図書館で内容を確認してからにしてください)

『好きになる免疫学』(第2版)萩原清文 著 講談社サイエンティフィク
『好きになる分子生物学』萩原清文 著 講談社サイエンティフィク

一般向けに書かれた医学関連の解説書はたくさんありますが、文章が読みにくかったり、誤解を招く記述があったりして、 自信をもってお勧めできる本は意外にありません。そのような中で、この2冊は文句なく名著と断言できる本です。 ともかく文章が読みやすく、また専門知識のない人でもスラスラ読んでいけるように、用語の使い方など配慮されています。 著者自身が描いた楽しいマンガも的を射ているので大いに理解の助けになるでしょう。 免疫学や分子生物学の興味深いドラマを十分に実感できる本だと思います。

『いちばんやさしい生理学』加藤尚志 監修、南沢享 監修 成美堂出版

この本をお勧めする理由も文章が読みやすいことです。 一つ一つの文が短く簡潔で、また無駄な記述がないのでストレスなく読んでいけます。 この種の本は、必要に応じて目的のページを参照するといった辞書のような使い方でも活用するでしょうが、 そのような使い方にもぴったりです。 余計なことが書かれていないので、目的のページを開いてすぐに知りたい情報を得られます。

また、わかりやすいカラーの図が豊富にあることもこの本の長所の一つです。 このページ数でこれだけ図があって、なおかつ基本として必要な事柄はしっかりカバーしている。 まさに生理学が凝縮されている感じです。

成美堂出版のサイトで8ページほど立ち読みができます。 同サイトのキーワード検索で「生理学」と入力してください。

 

「および」の使い方

メディカルに限らず産業翻訳の分野では、and を機械的に「および」で置き換えている奇妙な日本語訳をよく目にします。 公用文では「および」の使用が求められますが、その理由は、法令や契約書などで、条件や権利の範囲を明確にする必要があるからです。 しかし、医学関連の文書でそのような必要が生じることはめったにありません。 本当に「および」が適切なのかどうか考えてみたいと思います。
(公用文では「及び」は漢字で書くことになっていますが、公用文以外ではひらがな書きが普通なので、このブログでは「および」とひらがなで表記します)

(1)胸部X線およびCT写真で右胸水および右肺底部の浸潤影を認めた。
(2)胸部X線CT写真で右胸水右肺底部の浸潤影を認めた。

この2つの文を比べたら、日本人の10人中9人は(2)の方が読みやすいと言うでしょう。しかしメディカル翻訳業界では(1)のように書かなければダメだと考えている人がいるらしいです。 (1)の文が間違いかどうかはともかくとして、内容や読みやすさを考えずに意味のよくわからないルールに固執する姿勢が疑問です。 日本の医師の書いた論文や報告を見ても(たしかに「および」を好む人はいますが)、十数ページの論文中に「および」がまったく使われていないものもあります。

限定列挙

「および」は並列関係にあるものを列挙する場合に使われます。「および」が表す列挙は限定列挙と言い、たとえば「A、B、C および D」と書いたら、列挙の項目は A、B、C、D だけに限定されて、これ以外のものは当てはまりません。ですから、「A、B、C、D など」のように例を列挙する場合に「および」でつなぐのは不適当です。 公用文の書き方の指針でも「および」を「等(とう)」と共に用いてはならないと書かれています。つまり「A、B、C および D 等」は間違いで「A、B、C、D 等」のように書かなければいけないのです。

H. pylori causes a variety of diseases such as gastritis, peptic ulcer diseases, and gastric cancers.
* ピロリ菌は胃炎、消化性潰瘍および胃癌などのさまざまな病気の原因となる。
→ ピロリ菌は胃炎、消化性潰瘍、胃癌などのさまざまな病気の原因となる。

such as や for example がなくても、例を列挙する and はよくありますが、そのような場合も「および」は適当ではありません。

Legionella infection presents with malaise, myalgia, headache and fever.
* レジオネラ感染症では倦怠感、筋肉痛、頭痛、および発熱が見られる。
→ レジオネラ感染症では倦怠感、筋肉痛、頭痛、発熱(など)が見られる。

この例文では、レジオネラ症の症状の一部を例として挙げているだけですが、 「倦怠感、筋肉痛、頭痛、および発熱」と書くと、これ以外に症状はないかのように読めてしまいます。 実際には、レジオネラ症ではこれ以外にも、食欲不振、胸痛、呼吸困難などさまざまな症状が起こりえます。

respectively と「および」

respectively(それぞれ)と共に使われる and を「および」と訳すと困った問題が生じます。

Mean half-life of XXX in patients with mild, moderate, and severe liver impairment was 46, 72, and 95 hours, respectively.
(1)XXX の平均半減期は、肝機能障害が軽度の患者、中等度の患者、および重度の患者において、それぞれ 46、72、および95時間であった。
(2)XXX の平均半減期は、肝機能障害が軽度の患者では46時間、中等度の患者では72時間、重度の患者では95時間であった。

英文の意味は(2)の訳の通りですが、(1)のように「それぞれ 46、72、および95時間」と書くと、 軽度、中等度、重度のそれぞれで、46、72、95時間の3つの結果が観察されたという意味になってしまいます。 この例は、and を単純に「および」で訳してはいけない好例で、(1)の訳の2つの「および」を取ると、これだけで申し分のない訳になります。

 * * *

「および」を使ってはいけないと言うつもりはありません。 込み入った並列関係を表すときに「および」が重宝することもあります。 しかし、これまで深く考えずに「および」を使っていた人は、その使い方が適切かどうか、この機会に一度考えてみてください。

 

present

今回は医学文献でよく目にする自動詞の present です。present は「(患者が診察のために)現れる」、present with は「(患者や病気が症状を)呈する」などと訳せます。 present 自体は中学校で習う基本単語とされていますが、自動詞の present は一般での使用頻度は低いため、詳しく解説している辞書は少ないと思います。

A 31-year-old woman presented to the emergency department complaining of chest pain.
(31歳女性が胸痛を訴えて救急部を受診した)

Patients with diabetic ketoacidosis present with nausea, vomiting and abdominal pain.
(糖尿病性ケトアシドーシス患者は、悪心、嘔吐、腹痛を呈する)

Glomerulonephritis tends to present with microscopic hematuria.
(糸球体腎炎では顕微鏡的血尿が見られることが多い)